月が綺麗だという話をしよう

TOKIOに堕ちたら未知の世界が広がっていたという話。

思うままを書いたらポエムになった。という羞恥プレイ。

ここ最近、トキオタ界隈がちょっとザワついてて、トキオタになって多分初めてくらいのザワザワ加減なので、これは何か自分も意見を……となるのだけれど、他人様のAという意見もBという意見も「お、おぅ、成程」って思ってしまって結局見当違いの戯言を繰り出しそうな葉桜ですこんばんは。

 

本当は去年ライブがあるもんだと思い込んでいて結局なくて、今年はあるだろうと思っていたのだけれどもう6月。
でもタヒチでは音楽活動っぽいことを見せてくれたり。
でもリーダーのラジオでの発言もあり。
でもリーダーの熱愛報道は吉報の前触れ、なんていう話も聞いたりする。
でもでも、の繰り返しで、結局のところ正直な感想は。

 

さっぱりわからん。

 

CDが売れないからライブが出来ないというのはある意味本当かもしれないけれど、きっとそれだけじゃない。
皆それぞれ多忙で時間が取れなくてライブの準備が出来ないというのも本当だろうけれど、やっぱりそれだけじゃない。
「こうすれば」「ああすれば」と動いている方もちらほら見掛けるけれど、それが正しいのかどうかもわからない。
色んな要素がそれぞれで絡み合って、恐らくはその大部分はこちら側には見えないもので、多分ファンにはどうしようもないことの方が多いはず。
それは恐らく皆分かっているけれど、何かしたい。出来ることがあるはず。
そういう姿は、結構な年齢の今になるまで「現実に存在している人間のファン」になったことのなかった自分の目にはとても健気で、少し切なく映る。
でも。
きっと「気持ちが足りない」とか「その程度」とか「本当のファンじゃない」とか言われるだろうけど。

 

自分はそういうことが出来ない。

 

誰かに倣ってやってみようとしたけれど、無理だった。
言葉にしよう行動に移そう、とすればするほど嘘っぽくなった。
何か違う。
ずれる。
もの凄い違和感。
その理由は、本当は知っているけれど、流石に書けない。
書いたところで、誰も(自分も)楽しくないし不愉快になるだけだ。確実に。
だから、結論だけを書いておく。


自分に出来るのは、このブログやツイッターで「TOKIOが好きだ」と繰り返すことだけだ。
宛てなく一方通行のボールを投げるだけだ。
好きだ、大好きだ。
こんな気持ちの毎日を送れることに感謝している。
期待してちょっとがっかりして、の繰り返しを飽きることなく繰り返す。
誰のせいでもない。
ただ、「TOKIOが好きだから」
原因がそれなら、もうそれでいい。

そういう毎日を繰り返して、いつか嬉しい知らせがくることを信じている。

 


何でこんなポエムになったの。

 

 

すっごい恥ずかしいんですけど。

でも折角書いたから上げる。貧乏性。