月が綺麗だという話をしよう

TOKIOに堕ちたら未知の世界が広がっていたという話。

実体を伴った足音の話。

最近はてなで流行っている初めて○○のコンサートに行った日、というお題を指を咥えて見ている葉桜ですこんばんは。
何せTOKIOに堕ちたタイミングが悪くて、まだ一度もTOKIOライブに行ったことがないわけで。
今年はライブあるらしいという噂だけを信じて生きています。
少し前のタヒチで鍵盤の話が出たり、ナガスタでデモ(テープ)なんて言葉が出たりしていて、彼らが動き出しているらしいことは分かるので、もう大人しく良い子で待ってます。
今月末は(多分)テレ東音楽祭だし、来月はMUSIC DAYもあるので、近々本業やってる彼らを拝めることはほぼ確定なのでまだ凌げます。待機待機。

 

ところで、そんなわけで五人を生で観たことは一度もないのですが、一回だけ、リーダーを生で観たことが実はあります。
去年の五月の末のことなので一年くらい前になりますが、隣町に民魂の公録で来たんですよ、リーダーが。
それで、公録の参加希望葉書を自分、母、妹の名義で出して、自分以外の二人分が当たったんです。ええ、自分以外。
妙に理不尽というか何というか、な気分になりながらもウッキウキで行きました、公録。
そしたら座席が抽選で、引いたら前から3番目でした。
田舎の町民ホールです。狭いです。確かキャパ1,000人ちょいです。そんな会場の前から3番目です。嬉しいよりオロオロしました。
あの番組、結構客席をしっかり映すので、なるべくアホ面にならないように気を付けようと思っていましたが、いざ本番になればリーダー観るのに必死で何とか口を開けっ放しにしないようにするのが関の山でした。
後に放送された番組を観ると、しっかりアホ面で映ってました。挙句それを目ざとく見つけた親戚から電話が来るというオチまでつきました。


そんな民魂は民謡の番組で、リーダーはえぬえっちけーのアナウンサーの方と二人で司会をしています。
地方を廻って、その地方の風土や特色、民謡の生まれた経緯などを紹介しながら、その地方の方が民謡を歌う姿をメインに構成されています。プロの民謡歌手の方も出演されていますが、主役はその土地の方だと思います。
で、そういう舞台なので、色々なものが結構しっかりと見えるのです。
舞台が暗転してから静かに舞台袖に引っ込むリーダーとか、中学生の女の子が歌った時にその第一声に目を瞠るリーダーとか、地元のおじいさんが一生懸命民謡の成り立ちを説明されている時に励ますように背中の辺りを支えているリーダーとか。
他にもまあ色んなリーダーとかリーダーとかリーダーとかがたくさん見られました。
近いなー凄いなー触れそうだなー。近すぎて興奮とかよりは呆然とするわー。
そんなふうに楽しく穏やかな時間を過ごしていたわけですが。
何かの拍子に、聞こえたんですね。
足音が。
(あれ、何か怖い話みたいな感じですが、違います。怖くないですよ)
目の前で歩く人の足音が聞こえるって、普通のことです。寧ろ聞こえない方がおかしい。
でも、ずっと緩く浅い2次元ヲタだった私には新鮮だったし、衝撃でした。
この人は、体重と体温を伴って、今この場所に実際に存在している、という実感。
誰かの手が作り上げた、いつか連載や放送が終わってしまえばもう記憶と妄想の中でしか会えない「登場人物」じゃなくて。
もしもいつの日か表舞台から去ってしまっても、その後もちゃんとこの世に存在し続けている「人間」で、今この瞬間の足音は文字でも効果音でもない、実際に歩いている音だ。
彼らの原作者は彼ら自身で、彼らは生身だけれど同時に作品でもあって、自分がファンに見せたいと思う「キャラクター」を作り上げながら同じ瞬間に現実を自分の足で立っている「生身の個人」でもある。
彼らが作り上げる「物語」はいつも現在進行形で、後付けも辻褄合わせも出来ないし、いきなり数年後の未来になったり過去になったりはしない。
そして私と彼らは同じ時間軸に存在していて、今現在この瞬間にも彼らは地球上のどこかで何かをしている。実在している。
誰かの意図でそこに作られているのではなくて、彼ら自身の意思と成り行きでそこに存在している。
当たり前で当然のことで、ちゃんとわかっているつもりでした。
でも現実に、自分の耳で生きているその音を聞いて、やっと実感したというのが本当のようです。
実感して、だからどうだということはないのですが、自分と彼らの間に誰の意図も次元の壁も介在していないという現実に不思議な気分になりました。
そして同時に、二次元よりももっと距離があるのだとも思いました。

 

決して手の届かない偶像であるのは明確なのに、十把一絡げのファンの群れのなかの一人でも、その塊として彼らに実際に認識されいるというリアル。
現実と非現実の見事なカオス。
彼らに堕ちて、そろそろ二年。
楽しい嬉しい面白い、という感情の隣にいつも心地の良い違和感を抱えています。

 

足音ひとつでこんなに色々わかることがある。
本業の彼らを実際に目の当たりにしたら、どれだけ世界が広がるのか、ちょっと戦々恐々な部分もあります。
それでもとにかく、行ってみないと分かんないから。

 

嬉しいお知らせはまだかなー、ということです。